2010年7月30日金曜日

逸品 音の匠 明珍火箸

蝉の声が降り注ぐ今日このごろ、みなさんいかがお過ごしですか?

今回は数年前から我が家の夏の風物詩として活躍している一品を紹介します。





明珍火箸-明珍家は48代目までは甲冑師として姫路藩主・酒井家などにつかえ数々の甲冑を作ってきたが明治維新で武士の時代が終わると、その昔、千利休から注文を受けて茶室用火箸を作ったという故事にならって、それまで余技だった火箸づくりに転じ、多くの茶人をはじめ、家庭用としても愛用され明珍火箸の名声は全国に鳴り響きました。

しかし、昭和30年代に入り火箸の需要が落ち込むと51代の宗之氏が火箸を組み合わせて作った風鈴とドアチャイムを考案。その澄んだ音色で全国にファンを獲得。

姫路の代表的な伝統工芸品。その澄んだ音色と余韻は全国的にも有名で、冨田勲やスティービーワンダーなど国内外のミュージシャンからも絶賛されています。(SONYのマイクの音質検査にも使われています)

ぜひ一度お聞きください!!!


いかがでしたか?


2010年7月25日日曜日

おのみち

こんにちは!
先日、ジェイホッパーズ広島のスタッフちかちゃんと
尾道ぶらり旅へ行ってきました。

ぶらり旅どころか、暑すぎて、
5分歩いて休憩
5分歩いて日陰へ
5分歩いてカフェへ
というペースでした!

尾道駅に着くと、まずいつも気になるのがこのお城。





この造りは落ちそうだけど大丈夫なのか!?
今はもう、廃墟となっているそうです。

そして、千光寺に行く途中に通るのがこの商店街。
相変わらずいい感じです。




前回の私の尾道の日記では千光寺まで歩いてのぼりましたが
その日はそれどころではないくらい暑すぎました!
なので、ロープウェイで。
ロープウェイも暑かったけど。

そして、ロープウェイが着いた瞬間まず日陰へ!
そして、千光寺の滞在時間わずか10分!
下りは、梟の館というカフェに行きたかったのもあり、歩いて下りました。




が、しかし・・・
「 あれ完全に窓全開よね?」
「確かに、エアコンのファンとか外にないし、音もせんよね?」


という事で、とにかく暑すぎたこの日は常に涼しい場所を求めていたので、
梟の館はあきらめ、駅へ戻ることに。

駅の近くにある喫茶店で涼む事約1時間。
この旅で1番長く滞在したのはこの喫茶店でした。

みなさん、夏ばてには気をつけてくださいね!




2010年7月24日土曜日

☆七夕パーティー☆

みなさん、こんにちは!!
梅雨が明けてから、蒸し暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか?

さて、7月7日に、京都花宿で七夕パーディーがありました。
そーめんと白玉団子を用意し、ゲストの皆さまと、スタッフともども一緒に楽しみました。

今宵のごちそうを作ったスタッフです♪
男性メンバー、女性メンバー共に浴衣を着て、夏気分を演出してみました。





お泊りのお客様とスタッフが交じり合って、楽しんでる様子です↓↓













京都ジェイホッパーズから、仕事終わりに駆けつけてくれました♪



ディナーを食べて、杯を交わした後、鴨川へ花火に行きました♪





お客さまの一人と、スタッフの一人陽気な坊主ヨッペリざるが酔い覚ましに、この後鴨川へ・・・



ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました!! 本当に思い出深い一日になりました!! 是非、また遊びに来てください♪
今回ご参加できなかったみなさま、次回はぜひぜひ足をお運びくださいね♪♪

2010年7月15日木曜日

夏の夜の茶会 






















今年も夏のお茶会にでかけました
誘ってくれるのは、祇園で茶道店を営む親しい友人です。
http://teaceremonyen.com/index.html


この不思議な茶会は
佛光寺の塔頭、長光寺で夏が一番暑くなる前のある夜に、ひっそりと行われ ます。

本堂へ向かう石畳の向こうに
夏使用の着物や浴衣を身に着けた美しい影がふすまの向こうで動く姿が見えました。

待 つお部屋では 涼しげな掛け軸 数々のお道具のお名を拝見します。
この会では昔、日本に渡ってきた珍しい西洋のお道具たちが使われます。

街中だとい うのにこの寺は静寂をまとい、よい風が吹きぬけ、夜の闇に庭の苔が光っているのです。

まずは 陰 の部屋に通されます。
このお部 屋には人工的な灯りはなく アンティークの青い傘の陶器のオイルランプが静かにたたずみます。
フランス製のキャンドル立ての水の中で浮かぶ光はゆ らゆらと妖艶な円い影を、暗い床に映しています。
涼しげな掛け軸、ポルトガルから来たのでしょうか、ギアマンガラスは貝の形の香合にしつらえをかえています。
瑞々しい菓子、フランスの青いガラスで 冷たく冷えたお薄をいただきました。
もしこのガラスを蛍光灯で透かしてみるとどんな味気のな い色になるのでしょうか?
オレンジががった自然な灯りを透かした器には動きが生まれ、趣が表れるものです。





闇という静寂の中では  慎ましい所作や音が浮き立ちます。
菓子を盛るガラス器の繊細な感触は今でも手に、記憶に、残っています。



次には 陽 のお部屋に通されます。
この部屋は明るく、立礼式(りゅうれい)でお点前がなされます。




















黒光りした卓の上に 紫陽花を意識した砂糖菓子が 振舞われます。
ジャスミンの花は日本語でソケイというそうです。
遠慮がちなジャスミンがかわいらしく佇んでいました。
明るい部屋には 華やかな器を、、

朝顔のしっかりとした茶器からオランダのデルフトの古い陶磁器まで、さまざまな器で私たちのもてなしてくださいました。
茶道の世界は型の中でこそ 型を脱いでゆくものなのでしょうか。
限りなく広い世界が広がっているような気がします。



















なつめの蓋をあけてみると 貝で象られた祇園祭の紋があり、茶杓も祭りを意識したものです。
感覚と思いを澄ますと 数え切れないものが 見えてくるようです
もちろん 目で 、薫りで、手触りで、耳で、舌で 心で 見えるものがあります。

暑い夏の夜 それは素敵なひとときでした
季節は全てに表情があり
それを愛しむ この国には まだ 大切な心が 残っています




2010年7月14日水曜日

広島のみどり

突然ですが、皆さん“被爆アオギリ”って知ってますか?

ご存知のように、1945年8月6日広島に原爆が投下されました。
その当時は「広島には75年間草木も生えないだろう」といわれていたそうです。

そんな中、爆心地から約1300mの場所でアオギリの木は被爆し、爆風と熱線で焼け焦げになりましたが、その翌年1946年の春に芽吹いたそうです。

私は広島で生まれて、広島で育ちました。
小学生の頃から平和教育で被爆者のお話を聞かせていただいたり、原爆資料館に何回も訪れ、もちろん被爆アオギリのことも知っていました。

そして、4月に広島花宿に泊まって頂いたゲストさんから、被爆アオギリの種を頂いたんです!!
このお客様は被爆アオギリの種を日本各地で育てよう。というプロジェクトに携わっておられて、私もその育て親になるべく、5月から一生懸命5個の種を芽吹かせようと頑張っていました。

最初は濡らしたティッシュの中に種を入れ、発芽するまで2週間。
2つの種のみ発芽に成功。
(写真を撮るのを忘れました~)

その後は、鉢に植え替えて更に芽が出てくるまで1週間くらいかかりました。
現在の状況は、写真の通り!










元気にすくすく育ってます!!被爆アオギリ何世になるんでしょうか??長い年月を経て、広島の我が家にやって来たこの子達。
よ~く見ると、葉っぱがハートの形なんです。とってもかわいいですよね♪

そして、広島の蒸し暑い気候の中すくすく育つもう1つのハートの葉っぱ。










去年から家のベランダで育てている2本のオリーブ。
初めて実をつけました!!
どうやって食べようか考え中です。

植物を育てて、成果が出ると本当に嬉しいものです。

広島の被爆アオギリの成長からも目が離せません!!
また経過を追って成長過程をご報告したいと思います。

被爆後も、こうやって子孫を残し続けている被爆アオギリの木は平和公園、平和記念資料館東館北側の緑地帯で今も生きる力を訪れる人々に伝え続けています。

2010年7月4日日曜日

こがんこばなし


昨夜、サッカーの試合が行われる前に食べ・飲み放題のレストランに行きました。
このレストランは京都の三条にある「こがんこ」というレストランです。
花宿からは計六名ご参加いただきました。
神奈川からけいこさん、イギリスからキエラン君、アメリカからイアン君、セバスチャン君、ジョー君、韓国滞在アメリカ人のフィル君。
後は、前に木屋町の飲み屋で出会ったことのあるロスさんとその友達のオリバーさん。
しーちゃん、あーちゃん、しーちゃんの昔の英語の先生とその友達などなど。

国際交流をするなら花宿でっせ。
スペシャルサンクスはしーちゃん、あーちゃんへ。

ドランクマンクも出現しておりますが、おめめをお隠しになられております。
ではでは、皆様、再度お会い出来るのを楽しみにしております。