2010年4月30日金曜日
被爆者の肉声 ~伝えていかなければいけないコト~
こんにちは。花宿のマモルです。今回のブログでは、胸の痛む、だけれども広島人としてどうしても伝えておきたいお話を紹介したいと思います。
イキナリ重い話題になるかもしれませんが…僕はいわゆる『被爆3世』です。僕の祖母は25歳のとき被爆しています。彼女は原爆の生き残りです。
1945年8月6日の朝、祖母は爆心地から2kmほどの実家で倒壊した家の下敷きになりました。その後、路面電車で仕事に向かっていた妹を市内で探し回ったため、彼女は全身に放射能を浴びました。
市内から帰って来た後、髪の毛がズルズルと抜け落ちたそうです。彼女の体には明らかに被爆症状が現れていました。その後、祖父との間に父を産み、そして僕が産まれました。明らかな被爆症状が現れながらも、よく健康な父を産んでくれたものだと、今でも思います。
僕の両親は祖父母と暮らし、共働きだったので、僕はいわゆる『おばあちゃんっ子』でした。物心ついたときには原爆の話を―原爆直後の広島市内がどれほど悲惨だったかを―繰り返し繰り返し聞かされて育ちました。
彼女の妹はいまだに骨すら見つかっていません。繰り返される原爆の話の最後にはいつも妹の話になり、その話をするとき祖母はいつも涙を浮かべていました。骨を見つけてやりたいんだ、と。
僕は広島という重い歴史を背負った街で生まれ、育ちました。
祖母は今年90歳ですが、彼女の口から原爆の話が語られることはもう二度となくなりました。彼女は5年前に痴呆症を発病し、自分の名前すら忘れ、老人ホームで静かな日々を送っています。
あと何十年かすれば、原爆を実際に体験し、そして生き残った人々の話 ~伝えていかなければいけないコト~ を直接耳にすることは難しくなるかもしれません。それは歴史の一部を失うことであり、なにかしらの危機感を抱かなければいけないことなのかもしれません。
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4月19日付けの中国新聞(広島ではメジャーな地方紙)で、あるウェブサイトが紹介されていました。『被爆者の声』というサイトです。
このウェブサイトは、私費を投じて1000人以上の被爆者の肉声を収録し、昨年3月に72歳で死去した元長崎放送記者、伊藤明彦さんの思想や活動に共鳴する次世代の人たちによって作り上げられたものです。
徹底して被爆者の肉声をそのまま伝えることにこだわっていて、「肉声を無編集で次の時代の人々に手渡したい…。解釈や編集はその時代の人々にまかせればよい」という考えに基づいています。
広島の証言だけでも、8月5日夜~8月6日昼(ディスク1)、8月6日昼~夜(ディスク2)、8月7日~8月14日(ディスク3)まで131話の証言を肉声で聞くことができます。
【証言抜粋】
■ 証言 022 半裸体になって人が次々次々(ディスク1)
■ 証言 043 川ん中が埋まってしまって(ディスク1)
■ 証言 057 皮膚の焼けた皮がみんなぺったり手に(ディスク2)
■ 証言 067 肉の塊のようなものを持って(ディスク2)
■ 証言 117 鳶口で目のところをぐっと刺して(ディスク3)
■ 証言 119 手鉤でぷすっとね、刺すんです(ディスク3)
耳を覆いたくなるような話ばかりですが、どれも祖母から聞かされていた話と似ています。これらは全て実際に起こったことであり、それを見た被爆者本人の肉声によって語られることで、胸の底に届く生きた声になっています。
最近ではオバマ米政権が進める核体制の見直し(NPR)や、核拡散防止条約(NPT)がトップニュースになることもありますが、被爆地・広島として核兵器がどれほど悲惨なものか、もっと強く発言すべきなのかもしれません。
このブログを通じて、少しでも多くの方が被爆者の声を聞くことを祈っています。
■ 『被爆者の声』
■ 伊藤さんのエッセイが読める「ブログ 伊藤明彦 ヒロ・ナガ.com」
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3 件のコメント:
被爆者の声 管理人です。
サイトをご紹介いただきありがとうございます。 v(^_^)
s20hibaku さんへ
素晴らしいウェブサイトですね。英語のページも充実していますし、「声」をひとつひとつ文字にする作業は本当に大変だったと思います。このウェブサイトにたずさわる人々の熱意が伝わってくるようです。証言を聞いているうちに絶対にこのブログで「被爆者の声」を紹介しないといけない、と思いました。
「被爆者の声」は肉声のアーカイブとして今後大きな意味を持つウェブサイトになるとおもいます。英語で世界に向けても発信している点が本当に素晴らしいです。
なにもご連絡を差し上げず、このブログを書いたのですが、コメントを頂けて本当に光栄です。
これからも、末永くウェブサイトを運営してください。ささやかながらですが心から応援しています。
はじめまして 熊本在住の米田と申します。いつも8月は長崎市内にある 平和公園 爆心地公園に行って 二度と戦争が起きないようにと祈っています。長崎原爆資料館に行って 昭和20年8月9日長崎の原爆の写真展示、資料 ビデオを見て勉強しています。今年の8月6日広島に行って 平和公園で二度と戦争がないようにと祈ります。
6月2日 米田 喜誉高
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