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2011年4月9日土曜日

"短命のもがき"

面長で長方形の鏡の中に自分を入れてみる
寂然たる中、着想を十分発酵させて
自分を実験台に試用品として扱う
科学者の発言とどう異なるのだろうか

最寄りの窓から映し出される往来する人間と言われる生物
刹那に生きるのに唯物論者で
国、人種と言う名詞で区別し
人類学上、皆同類なのに差別が絶えない

天災による損害もそうだ
自国と他国では反応の仕方が異なるのにご存知だろう
天災の事よりこちらの方が問題ではないのだろうか
さて、後世はどう質問してくるのか

法律には従わなくていい
ただ、暴力には必ず反対しなさい。
人生は交響曲みたいなもので、終楽章の道のりは推測できる気配がなく
哀悼歌がながれる一方だが、火遊びは心臓の鼓動がある限り続ける価値があります。

と、鏡の中から悟っているような人物が映った。
さてこの人物はいったい何が言いたいのだろうか

ペンネーム 血が騒群

2011年1月14日金曜日

ラッキョウの花

議論の余地のない綺麗さ
感化院の庭で観察した。
三年に一度笑顔を披露し
太陽の真下で微笑む。

キャンバスに描かれたような風景に
じょうろで水を注ぎ
表面の色を溶かす中、背後にはモンスーンが迫る。
呼吸は柔らかく、優しくなり、まるで心臓が水分を含む前の干し物のように
濃度が濃く、知的で温かみのある生き物であった。

音楽論で言うとト長調だと私は思う。
歴史上、フランツ ハイドンが愛用していたスケールである。

反射論から逸脱するのか
我の目にはこう映る。

2010年9月3日金曜日

アメリカンメモリー

俄造りの地面に足をおき
地面の上を潜在意識下で立っていると
思いこむのは徒労であり
コンクリートの間から可憐に咲いている野花の香りから
幾度も哀愁を帯びたハーモニーが耳に入るのに気がつくと
まるで昆虫のように脱皮を試み
放心状態になる自分が水溜りに映った。

積雲の空もやがては晴れ、竜舌蘭が微笑むと
立派なオアシスにようやく辿り着つのだが
瞳孔は収拾がつかず
口の中はスライム状で空気上に映るドラゴンの舞踊に夢中なった。

掌を伸ばして手に入らない物などは無かった。
値段が付いている物には札が必要なだけで
決して難儀なものではなく
なんの興味深さもないのであった。

ベッドの下には泣きべそっている金髪少女が浮いた状態で横になっており
私はその子を即座に慰めるように頭部を擦ってあげるが
涙が少しは和らぐにも関わらず止まる様子はなかった。
会話は全くないのだが、同情し合っていた。

気がつくとモーツアルトの曲が物凄い音量で流れており
彼の世界に一瞬にして導かれるのであった。


つづく